東京に進出・出店したい、飲食店・小売店・サービス店・士業の先生を、出店候補地の現地調査コーディネートでサポート。取り返しの付かない出店だからこそ、「しっくりいく」までお付き合いします。
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  1. コンサルタント紹介

コンサルタント紹介

西村匡史

東京はビッグマーケットで競争も多く、生き馬の目を抜く街だと言われますが、当たり前の様に同じ日本で同じ日本語が通じます。

今のお店でお客様に提供されている心のこもった商品やサービスは、必ずお客様に伝わります。

東京進出への不安を吹き飛ばすお手伝いをさせて頂きます。

生年月日昭和50年(1975年)3月20日
出身地奈良県大和郡山市
出身地

大和郡山市立郡山中学校・奈良県立登美ケ丘高等学校・関西学院大学法学部法律学科

資格
  • 普通自動車運転免許
  • 宅地建物取引士
  • 国土交通省公認不動産コンサルティングマスター
  • 不動産有効活用専門士
  • 少額短期保険募集人
特技

元探偵業の仕事をしていたので、スグに人を見抜けます。

初対面の方でも待ち合わせ場所でわかる。地図が無くても目的地に着ける。

これは自慢だ

仲介前に繁昌する店(オーナー)になるかどうかわかる。

オーナーの自己都合以外の売上不振で撤退した店は1件のみ。
休日の過ごし方

本社近くの大阪ベイサイドをランニングし銭湯の朝風呂に入る。

愛車のアルファでドライブ。お客様のお店回り。

あと・・・鉄道マニアです(乗り鉄)


西村の超私的履歴書

鉄道に目覚めた少年時代

子供の頃とくに、小中学校時代は引っ込み思案だったんです。

病弱で集団でも目立つことは無く、あまり自己主張をする方でもありませんでした。

しかし、小学校時代に鉄道が好きになり、友人数名と「鉄道クラブ」を作ったことがありました。

よっぽど鉄道が好きだったんですね・・・

ちなみに鉄道好きは今でも続いています。

関東・関西の主要路線図は頭に入っています!



高校受験で腹をくくることを覚えた

高校受験の時、本命の公立高校と滑り止めの私学を1校づつ受けることになっていました。

無事、滑り止めの私学には合格するのですが、なんと親が入学金の振込を忘れ合格取り消しに!!

本命の公立高校一本で受験することになってしまいました。

 

当然、中学の担任教諭は、本命の公立高校のランクを下げろと迫ってきたが、頑なに断り

「お前は俺にも腹を括らせるのか」とまで言わせてしまいました。(笑)

 

この経験が人生最初の大きなチャレンジとなり、「腹をくくって挑戦することの大切さ」を覚えました。

その後、本命の公立高校には無事に合格し、その後高校でデビュー。

笑いを取る為に人に弄られるのが好きになり、友人も増えクラスでも発言が増える様になり現在の私のキャラが完成していきます。

 

思えば、この高校受験の経験が私を変えたのでした。



スポーツができなくなり、勉強に打ち込む!

しかし、16歳の時椎間板ヘルニアを発症。

スポーツは高1の球技大会を境に体育の授業も運動会も見学。

スポーツが出来ないこと、体が自由に動かせないこと、激痛に耐えストレスが溜まる悔しさをバネに勉強に打ち込む!

 

底辺ちかくだった成績が、最後には学年で2位に!

学校始まって以来、初の関西学院大学現役合格を果たしたのでした。

 

ちなみに目が悪くなったのはこの頃、長時間椅子に座っての勉強が出来ず床に寝ながら勉強を続けたのがきっかけです。



寝たきり・阪神大震災でチャレンジする人生に

大学入学後は一気に燃え尽き症候群に陥ってしまいます。

関学の保有する三田の「千刈キャンプ場」にてキャンプリーダーを担う「千刈リーダーズクラブ」に入部し、2年間はバイトも勉強もせずに、クラブに没頭し山に登る生活を送っていましたが、ここにきて収まっていた椎間板ヘルニアが悪化、2ヵ月の手術入院をすることになりました。

この2ヶ月の寝たきり生活が「体が自由に動くことの幸せ」に気に気づかせてくれました。

 

退院後に今度は「阪神大震災」に遭遇し、身近な友人や先生が亡くなる経験をしました。

救援の為に物資を持って西宮に出向き、悲惨な現場を目の当たりに。

「人間いつ死ぬかわからない」という事にも気づいたのでした。

 

大学時代のこの2つの出来事が、出不精でインドア派だった私をチャレンジする人生に変えました。

宅建取得や、英会話の習得、肉体労働中心ド短期のアルバイトなどにチャレンジ。

バタバタとアクティブに動き回るようになりました。



警察官を目指すも挫折・・・

人を守る警察官になりたい!と学も法学部法律学科刑事政策学を専攻しました。

しかしまたも、ヘルニアが原因で断念。

 

大手ディベロッパーや鉄道会社を中心に受験するが、最終株式会社西友に内定をいただきました。

 

ころのころは、父が営む不動産業界には興味が無く、不動産関係とは違い、お客様と直接接する仕事に興味が向いていました。



西友での小売時代

西友では、店舗開発部を希望し、店づくり、街づくりをしたかったのですが、そんな希望が叶うはずもなく配属はもちろん売り場。

東大阪市の八戸ノ里店の食品課に配属となり、豆腐や揚げ漬物、うどん・そば等をチルド食材の販売や菓子飲料の販売を担当しました。

 

夏場に豆腐を欠品させたり、ロット数を間違い大量に明治のカールが届くといったミスもたくさんやりましたが、売り場でのパートさんとの協力のしかたや、商品を余らせること無く廃棄しない絶妙な発注テクニックを研究したり、メーカー主催の商品陳列コンテストで入賞したり、ミステリーショッパーから接客ナンバーワンのお墨付きをもらったり、小売業ならではの仕事の面白さを体感した時代でした。

 

しかしその後、会社が住専問題をきっかけに経営破たんしました。

会社は大胆なリストラを断行したのですが、自分の親と同世代の先輩を新入社員と同等に扱う会社の姿勢に疑問を感じるようになり、小売もやりがいのある仕事でしたが、夢だった警察官へのラストチャンスかもしれない!と感じ、採用試験にチャレンジすべく、退職しました。

 

トイザラスでフリーターをしながら、公務員試験の予備校に通い警察官の試験を受験しました。

筆記試験には合格するものの、やはり体力検査で不合格。夢をあきらめることになりました。



住宅メーカー時代

警察官になる夢を諦め、かつて取得した宅建資格を利用できる仕事が無いか探していたところ、「積水ハウス」が木造住宅シャーウッドに力を入れることになり、初の中途採用を全国的に採用すると転職雑誌の記事を発見しました。

 

無事に内定を頂き、奈良支店に配属が決まったが、フリーター時代のパートさんから「アンタは親元を離れて生活する方が良い」とアドバイスを受け、人事に頼み込んで無理やり東京の武蔵野支店に配属替えをお願いし、希望が通り初の親元を離れての生活が始まりました。

 

しかし、これが人生最大の苦行であり、また営業を生業としていくきっかけとなったのでした。



展示場配属になったのですが、「先輩や上司とお客の取り合いになる」ということで展示場での接客させてもらえず、毎日飛び込み訪問営業。

当然人脈や縁故も東京にはないので、ゼロから人間関係をつくり少しずつ人脈を広げていくことにチャレンジしたが、結果は出ない。

毎月のノルマはきつく、入社時の上司からの評価は「期待のホープ」から「全く売れない使えないヤツ」に急降下・・・

と散々でした。

 

それでも、諦めずに日々営業を続ける中で、人脈が広がって行き最後には紹介で家を建てていただけるようになっていました。

私が東京のほとんどの駅で降りたことがあり、その街を歩いたことがあるのは、この時代に飛び込み営業を行っていたからです。

 

今でも、駅名を聞けばその駅周辺の空気感をイメージすることができます。

 

やっと結果がでるようになってきた矢先、またここでヘルニアが人生を狂わせることに。

営業中に倒れて救急車で運ばれ緊急入院することになり、あっさり「戦力外通知」を宣告されてしまいました。



テナント不動産時代

退職後地元の奈良に戻り、ヘルニアの手術・入院に。

入院中に転職活動を行い、最終的に江坂のベンチャー不動産会社に転職することになりました。

 

この会社は、一時倒産した堂島ホテルの再生や、道頓堀の中座の火事の後のリニューアルビルのテナントリーシング等面白いプロジェクトを沢山手掛ける「店舗開発」の業務を行っている会社でした。

この会社で初めてお客さんの店舗の出店をお手伝いする喜びを知り、出店のサポートが天職と感じるようになりました。

 

またこの会社は飲食事業にも参入し、芸能人の元若乃花のちゃんこ屋のFC展開を手掛けることにもなり、飲食店の経営についても学ぶことができました。

 

しかし、リーマンショックの煽りでメイン顧客の大手チェーン店が出店を抑制するようになりました。

あわせて若乃花ブームも降下し、経営が厳しくなってきました。

 

ほとんどの社員が去っていく中、独身で宅建を持っている最後の一人でもあったので、社員から業務委託のフルコミッション社員になってまで最後の残務整理までお手伝いしました。

同時期に父が認知症の中期となり、家業の不動産会社の債務整理にも追われることとなり、これが後の自分の起業につながって行きます。



保険調査員時代

テナント不動産会社の残務処理と家業の不動産業残務処理では食べていけないので、損害保険の事故の調査をフルコミッションの業務委託社員になりました。

調査員の仕事は簡単に言うと「保険金詐欺を暴く仕事」です。

 

損害保険や生命保険等の保険会社に、契約者から保険金支払いの請求が来た際に、保険会社が事故状況に矛盾や疑義が生じることがあります。

こんな時、保険会社は調査会社という第三者機関に調査を依頼し、調査結果を鑑みて保険金の支払いをするか?しないか?の判断をするのです。

私の仕事はこの第三者機関での調査でした。

 

調査会社に調査依頼が来る時点で、請求が偽装事故が疑わしい事案であるので、「契約者(請求者)が嘘をついているのか否か」を面談→現場調査→聞き込み→関係先調査の順で調査をし、真実を炙り出すといった内容で、ここでとても人を見る目を養えたと思います。

 

結局3年ほど、この仕事を続けましたが、「人を疑う」仕事に疲れてしまい、

「人に喜んでもらう仕事がしたい」と考え、調査の仕事は一切辞めて、ゼロから不動産を立ち上げる事にしました。



不動産業での独立

不動産業での独立不動産で独立してからは、3年のブランクがある上に基盤も人脈も、お客様も全くゼロに近い状態で自宅で開業したので、資金繰りや勤務先が倒産した際に支払われなかった未払い給与の赤字補てんの借金が残り、とても苦しかったです。

 

しかし、沢山の人の縁で京都でワインショップを開業されるお客様の契約が決まり、そのお客様のご紹介で大阪の飲食店を移転開業されるお客様の契約が決まり、大手チェーンの契約が決まり・・・と、何とか契約が決まる様になって行きました。

 

その後も多くの飲食店のお客様、小売店やサービス店、そして士業の先生の開業をサポートさせていただき、現在に至ります。




お店の東京進出サポートにかける想い

私の開業当初に出店を支援させていただいたお客様も2店舗、3店舗と拡大される方が多く、東京進出のお手伝いを行うことが多くなってきました。

そこで解ったのが、関西のお店のオーナーさんや士業の先生は、東京進出への想いも強いが、不安も大きい、ということ。

 

これまでの私の業務経験、得た知識、趣味まで、関西のお店のオーナーさんや士業の先生の東京進出するのをサポートするためにあったのでは?

と思えるほどなんです。

 

関西の高い質のお店を東京に進出と成功のお手伝いをさせていただき、

「どや!これが関西やで!」

と影で自慢したい。

 

それがこれからの私の野望です。

 

東京進出のご希望や方向性、御社の現状などをヒアリングさせていただき、東京進出の可能性を探りましょう。

東京の街を知っている、不動産コンサルタントが無料でご相談に応じます。

まずは、お気軽に私に会いに来てください。


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